寄稿文『おいらのひとりごと』

寄稿文『おいらのひとりごと』

『ロングトレイルの夢』 としまち研 宮本愛 ('12-01-31 )

 

 

 無心になって黙々とすることが好きである。山登りに行っても、何時間も黙々と歩いていることが多い。

 時折、ぱっと景色が開けたり、高山植物に目が留まったりして、思い出したようにカメラを取り出すこともあるが、大抵は、脇目も振らずにひたすら歩いている。頭をからっぽにして、自然の中をただ歩くことに身を委ねているのが心地良い。

 そんな中、いつかチャレンジしたいと思っているのが海外のロングトレイルである。ロングトレイルは数百キロから数千キロに及ぶ長大な自然遊歩道で、一気に踏破するのに半年ほどかかるものもある。狙っているのはニュージーランド。国としても力を入れているらしく、3~4日で踏破できる景色のすばらしいトレイルがいくつもある模様。衣食住を担いで、見渡す限りの自然の中を歩いてみたいなと思う(ただしテントと食糧の大半は夫担当)。映画『ロード・オブ・ザ・リング』の風景を想像しながら、まずは体力づくりです。

※次号の「ひとりごと」は森田寛さんです。お楽しみに。

おいらのまち 第55号より

『人類の進化』 としまち研 藤倉勇 ('11-11-29 )

 

 

 先日、私の中学時代の同窓会がありました。5年毎に行われる同学年一同の同窓会です。今回が5回目、60歳で還暦を迎えましたが、まだまだ実感はありません。

 40年前は、夢と希望に満ちていた若人でしたが、会う人みんなおじいさん、おばあさんの顔をしていました。でも昔の仲間と話をしていると、やっぱり人間は変わらないな。日常生活では、テレビがブラウン管から液晶に、洗濯機が二層式から全自動に、車はマニュアルからオートマチックにと技術の進歩により便利な変化を起こしてきました。食生活もしかり、食物の保存方法も変化し、インスタント食品もいろいろできています。そのせいか、巷では原因のはっきりしない、初めて聞く病名が多くなりました。これも食品の進化に何か関係しているのか。現代は余計なものを口にしているのではないでしょうか。

 仕事も同じ、自分の仕事も製図板から CAD にと進化しました。でも成果品は図面です。進化は進歩した変化なのかな。今一度見直しが必要かもしれません。

 ※次号の「ひとりごと」は宮本愛さんです。お楽しみに。

おいらのまち 第54号より

『「こころづかい」と「思いやり」』 としまち研 佐久間弘 ('11-10-17 )

 

 

 3月11日の東日本大震災から、半年が過ぎました。当時、震災直後のテレビのCMは、広告の自粛からか、ACジャパンの同じCMが繰り返し放映され、さすがに嫌気がさした覚えがあります。何本か放映されていたCMの中で、なかなかいい詩だなと思ったのが、「こころ」はだれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える。「思い」は見えないけれど、「思いやり」は誰にでも見える。

 特に詩が好きな訳ではないですが、気に入ったので調べてみると、宮澤章二という詩人の作品で、詩集「行為の意味」の中の一部でした。CMでは、アレンジされて使われていました。こころも思いも確かに見えませんが、「こころづかい」と「思いやり」という人に対する積極的な行為となった時には見ることができるということを言っています。

 今だからこそ、大切にしたいと思います、「こころづかい」と「思いやり」。

 ※次号の「ひとりごと」は藤倉勇さんです。お楽しみに。

おいらのまち 第53号より

『ただ今、修行中...』 としまち研 大須賀和宏 ('11-07-29 )

 

 

 ふと、趣味で稽古している心身統一合氣道が30年を越えているのに氣付く。腕前は別として、三日坊主の自分が、よくこんなに続いたと我ながら感心してしまう。

 心身統一合氣道に於いて修行する目的は、天地をプラスに受け止めて、そのプラスの心を我が心とし、日常万般に行う事にあります。

 心には色も形もないが身体には色も形もあり、五感で捉えることが出来るので、つい、心を忘れ身体だけを自分と思う錯覚に陥ってしまう。たとえば、薬や医者ばかりを頼みにし、天地より与えられた生命力を無視した結果、故障、病に苦しむ人も多いのではないでしょうか。

 心身は一如であり、心が身体を動かすという原則のもと、心身統一を求めるための方法として、技の他に、鎮心、洗心、息心の行や氣圧療法などがあり、道は深い。これからも終わりのない修行の旅は続いていく...。

※ 次号の『ひとりごと』は佐久間弘さんです。お楽しみに。

おいらのまち 第52号より

『公務員であったこと』 としまち研 飛澤宜成 ('11-05-30 )

 

 

 千代田区を定年退職して初めての大型連休がやってきた。これまでとどう違うのか。2日と6日の休みの申告をしなくてもいいことと、自分の居場所を気にする必要がないことぐらいか。これまでの公務員人生を振り返りつつも、これからどう生きるかを考えなければならない。今頃言ってるんじゃ遅いよね。

 いずれにしても、今後しばらくはここ(九段)を拠点に活動することになることから、まずはここをきれいにしようと、バルコニーの掃除から始めることとした。狭いバルコニーはすぐに終わった。次は網戸である。掃除機でほこりを吸い、固く絞った雑巾でしっかりと拭いた。ガラスの汚さが目立ってきた。水で洗い流し、乾いた布で二度拭きをした。そしたら、これまでは汚れに紛れ込んでいた小さな傷が現れた。どうしようもない。

 公務員人生もこれと似たようなものである。課題を解決しようと頑張れば次の課題が出てくる。どこまで事を突き詰めるかである。適当なところで止めないとけがをする。さてこれからはどこまで自分の思いで生きようか。生きられるか。

 * 次号の『ひとりごと』は大須賀和宏さんです。お楽しみに。

おいらのまち 第51号より

『どこまでが自分か?』 としまち研 町田誠 ('11-03-31 )

 

 

 大学時代、美大でありながら一番人気のあった授業が、國井喜章先生の「生物学」でした。その先生の持論である「なぎさ論」は、海の渚のように生物の境界は曖昧であるというものです。

 空気を吸った時、食事をした時、排泄した時、体内に含まれては出て行く酸素やタンパク質は、自分の一部ではないか。体内に常在している細菌類は100兆個。ヒトを構成している60兆の細胞よりも多く、日々同居している単細胞生物も自分なのか。また脳細胞以外のヒトの細胞は、5年から7年程度で総入れ替えされているのに、なぜ自分が崩れないで生きていられるのか。

 「なぎさ論」を発展させて極論すれば、宇宙船地球号が生物となってしまいますが、この分野は私にとって未だに興味深く、時間を見つけては色々と本を読んだり、情報番組を見たりして楽しんでいます。

 國井先生は既に退官されていますが、授業中にうたも歌えば、ニジンスキーの踊りも披露してくれましたし、試験には一般問題に混じって「今日の朝食に何を食べたか?」という問を設ける様なユニークな先生でした。

※次号の『ひとりごと』は飛澤宜成さんです。お楽しみに。

おいらのまち 第50号より

『私の趣味(囲碁との人生)』 としまち研 渡辺昂宥 ('11-01-15 )

 

 

 戦後(昭和29年)、小学校4年生の時に父を亡くし、母のもとで兄弟6人が生活していくため、母は酒屋をやりながら、兼業で駄菓子・今川焼屋をやり、賄い付の下宿も始めました。下宿人の人たちと食後に楽しんだのが囲碁・将棋・トランプ・百人一首などで、その時初めて囲碁に出会いました。

 先輩達より上達が早く、中学生になってからは当家で一番強くなっていました。高校時代には3年間面倒を見てもらった恩師から、補修と言いながら自宅へ呼ばれ、囲碁をしていました(私の方が少し強かったようです)。大学に入り、すぐに囲碁部に入部しました。思い出は夏季合宿と関東リーグの参加です。大学を卒業しますとなかなか時間が取れず、会社で囲碁部をつくって活動してみましたが、仕事が忙しく長続きしませんでした。その後あまり触れることもなくなり定年も過ぎて趣味として位にしか思っていませんでしたが、碁から学んだことは、(1)基本に忠実に(布石・定石)(2)全体の把握(中盤・形勢)(3)損・徳の判断(中盤)(4)最後のツメ(ヨセ)(5)計算力の強化(中盤・ヨセ)(6)強いリーダーシップです。

 そして、今年からとしまち研会員有志で囲碁同好会を立ち上げることになりました。ふるって参加をお願いいたします。

※次号の『ひとりごと』は町田誠さんです。お楽しみに。

おいらのまち 第49号より

( created:'09-05-09 / modified:'12-01-06 )