「よし!」の瞬間
ここ数年、週末になるとヘラブナ釣りに出かける。
釣りは嫌いなほうではなかったが、ここまでのめり込むとは自分でも想像していなかった。ヘラブナは活性の高い時期であれば初心者でも簡単に釣ることができるが、深くはまればはまるほど、会心の一枚を追求していくことになる。釣り方を組立て、仕掛け、餌を準備し、思いどおりの浮子(うき)の動きであたりを取れた会心の一枚は思わず「よし!」と声を出してしまう。
昨日あれだけ食った餌を今日は全く食わないといったこともしばしばで、浮子の動きで水中を想像しながら、タナ、餌、ハリス長さなどを常に考えている。釣れないときなどは、頭の中はフル回転なのである。
餌の配合やハリスの長さを5センチ変えただけで全く違う浮子の動きになることもある。不思議な世界であり、奥が深い。
唯一の趣味として今後もヘラブナとは一生つきあっていくことになると思うが、週末になるといそいそと出かける私を快く送り出してくれる家族の理解に感謝。
※次号の『ひとりごと』は比護彰彦さんです。お楽しみに。
古都トレドの街並み
マドリッドの南、バスで小一時間ほどのところにそのまちはある。スペインの古都トレド。ドン・キホーテで有名な荒野の続くカスティーリャ・ラ・マンチャ地方、三方をタホ河に囲まれた小高い丘の上に位置する小さなまちである。ローマ時代にまちの骨格が築かれ、その後、イスラム、キリスト、ユダヤといった3つの宗教が共存していた時代を経たことから、建物もまちなみも独特な様相を呈している。
「スペインに1日滞在するなら、迷わずトレドへ行け」と言われるくらい、スペインの魅力が凝縮されたところで、1986年にはユネスコの世界遺産に登録された。ずっと前からこのまちにどうしても行きたいという野心だけで、建築学科でも外国語学科でもないのに、無謀にも大学院で研究対象にすることにした。テーマは、おおまかに説明すると、生活とまちの保全とをどう折り合いをつけるのか、ということ。
調べるうちに、規制の厳しい古い住宅を現代的な生活に合わせるしくみや、生活者と観光客との区切りをつけるしくみなどなど、日本でも課題とされて取組まれている状況がこのまちにもあることが分かった。
そんな調査の過程であるご婦人と話す機会を得た。直球で「どうしてこのまちを守るのですか?」と聞いてみた。そうしたら「このまちは、私のまちだけではなくて“世界のまち”だから。」と言われた。この時に思った。まちについて考えるとき、私たちとまちの他に“見知らぬ誰か”は、いただろうか。観光の視点とも行政の視点とも違う、もっと深くて広い“何か”に出会った気がした。今でも“何か”の正体をつかみきれてはいないのだけれど・・・。少しばかり若かりし頃、思い出からのひとりごと。
※次号の『ひとりごと』は坂口耕司さんです。お楽しみに。
おいらのまち 第41号
とある現代アートの展覧会。ガラスケースの中に「絞られている途中で時が止まったような汚い雑巾」が鎮座している…意味が分からない。いやいや、これがアートとして評価されているからこそここにあるわけで、何らかの意味があるに違いない。はて。
僕は現代アートというものが好きなのだが、その理由は、自分の持っていない『チャンネル』を得られるからである。
世の中の様々な事に対して感度高くあるためには、様々な事に対して常にアンテナ(意識)を向け、沢山のチャンネル(情報を得る道筋、モノを見る視点)を持っていたいと思う。
現代アートというものの一つの定義として「作家が世界をあるチャンネルで捉えて、そしてその世界をその作家の手法で表現したもの」と考えると、その作品に触れ、それを理解することは、その作家のチャンネルや、その作家の解釈による世界を体感出来るということだと思う。自分の波長と合うチャンネルに触れた時、新たな「世界の見方」を得た気がして、ギャラリーを出た時に、なんだか生まれ変わったような気にさえなることがある。そんな出会いを求めて、ギャラリーに通っている。
さて、冒頭の作品。作家はどういうチャンネルで、どう世界を見たのか。知りたいと思いつつも、いまだに不明である。
※次号の『ひとりごと』は山田絵美さんです。お楽しみに。
オバマ大統領就任で盛り上がっているアメリカのニュースを見るたびに懐かしく、リサはどうしてるかな?と思います。
リサは、交換留学生として私の高校に来たアメリカ人です。同じオーボエを演奏した縁で吹奏楽部で一緒になりました。始めはまぶしい存在だった彼女もとても親しみやすく、楽しい日々を過ごしました。
その後、仕事に就いたリサのもとへ遊びにいった(無理やり押しかけた?)こともありました。彼女が仕事の間、ワシントンで美術館や博物館などで時間をつぶしていたものです。
やがて彼女も結婚し、子供が生まれた頃までは連絡を取っていましたが、その後疎遠になってしまいました。クリスマスカードを送ったものの、住所不明で返送されてきた時にはもうこれっきりになってしまうのかな、と寂しく思っていました。
ところが、昨年高校時代の後輩と再会し、この話をすると、「探せるかも」という話になり、1 ヶ月も経たないうちに探し当ててくれたのです。実際に電話で話をし、日本語も通じたそうです。程なくE メールが届きました。変わっていないリサと、すっかり大きくなった息子との写真も一緒です。
リサを探すには、アメリカ独自の方法があるのでは?と思っていたのですが、実際は彼女のおとうさんを知っている人がいた、という偶然によるものでした。
リサの息子はまさに当時の私たちと同じ年頃。不思議な偶然が重なったものです。いつかまた、会って懐かしい話ができる日を楽しみにしています。
※次号の『ひとりごと』は矢ヶ崎洋恵さんです。お楽しみに。
先日、元プロ野球選手の桑田真澄投手のインタビュー記事を読む機会がありました。とても短い記事でしたが、そこに綴られた桑田元投手の言葉は今の自分にとても響くものがありました。
巨人入団当時の入団密約疑惑によるバッシング、再起不能と言われた怪我からの復帰・・・。潰されそうにはならなかったのですか?という質問に彼は、「つらかったですよ。でも信念を貫けば必ず分かってくれるものです。僕の場合は23年かかりましたけど。」と答えています。また、「一生懸命努力する選手を野球の神様はきちんと見ている」とも。
「誠意を尽くせば必ず分かってもらえる」、「努力していれば誰かが見てくれている」とは使い古された表現ですが、23年ともなると、自分を貫いたという彼の強さに感服するとともに、この持続する意思の強さが彼を大投手にしたのだと納得しました。
「自分にはこの強さがあるだろうか?」、「仕事の神様は僕の仕事をどう見ているのか?」、そんなことを考えさせられる言葉でした。自分も20年後に彼のような言葉が言えるような、そんなスタンスで仕事をしていきたいものです。
※ 次号の『ひとりごと』は田代玲さんです。お楽しみに。
以下は、過去記事になります。
まだありません。
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